お客様とお話していて、とにかく多いのが「神社の正しい参拝のしかたが分からない」という悩み。どうも、ちゃんとした参拝方法を知らない、親からも聞いてない、という方が増えているようで。。。(^^;)また、神社の専門家(笑)なる変なエセスピ連中が、よりご利益がもらえる(笑)オリジナル参拝なんかを編み出しますので、余計に混乱するようですね。
(こういうの、信じちゃダメですよ。バチ当たります→おついたちの正体)
うん、そのご利益を徹底的にもらうお参り方法って、神社を参拝した人々の祈りのエネルギーを、奪ってるだけなんだけどね。悪魔じゃん(`▽´)プギャーwwww
そんな悪魔みたいなヤツに騙されないため、日本の神社や仏教の歴史について、おさらいしましょうという意図です。中学校や高校レベルの日本史を勉強すれば、エセ霊能者や、神社の専門家(笑)なる変な人に引っかかることはありませんので、ちょっと専門的な言葉も出るけど、ぜひ最後まで読んでね(^^)
(ながーーーーーーーいよ(^^))
神仏習合について
日本の神社の歴史を語るうえで、絶対に外せないのが「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」です。つまり、日本古来の神様と、外国から入ってきた仏教が融合して、独自の文化になってますよ、ということ。
お隣の中国などでは、儒教と道教という別々の宗教を、それぞれ別物として信じる人が多かったのですが、日本では、別物ではなく同一視されたようですね。
神仏習合とは、簡単にいえば、「日本古来の神様は、仏様が姿を変えて現れたものだ」という考え方です。これを、本地垂迹(ほんぢすいじゃく)説といい、たとえば、天照大神などは、大日如来の化身だとされます。
平安時代くらいに完成した考え方ですが、聖徳太子のちょっと前くらいから伝来した仏教は、当時の先進国の宗教でしたので、日本では手厚く保護され&優勢であり続けました。だから、仏教が本家で、日本の神様が化身とされたのでしょう。
(江戸時代には、神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ)という、神様がおおもとで、仏様が神様の化身、という逆の考え方も生まれました。とくに江戸時代後期は、それまでの平安~室町までの考え方をひっくり返すような、変わった考えが生まれた時期でもあります。これらが明治維新につながってますが、平和な時期の学問って大事(^^))
つまり、日本では神様と仏様は一緒の存在。
この考え方は、江戸時代が終わるまで続きました。
でも、今の日本では、お寺に鳥居なんか立ってないし、神社に仏像も置いておりません。江戸時代まではそれが普通だったのですが、なぜかない。
実は、明治時代になると、天皇が天照大神の子孫であることから、天皇=神の図式が確立するようになりました。いわゆる、「国家神道」というヤツです。明治生まれのおじいさん、おばあさんから、学校に天皇と皇后の写真を祀る神社があったとか、学期の終わりに教育勅語(明治天皇が出した、教育に関するおことば)を校長が読んだとか、そんな話を聞いたことある人、いませんか?
この国家神道によって、仏教と神道は分離するようになりました。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言いますが、お寺が徹底的に壊されて、神仏習合の歴史は終わりを告げます。
まあ、ぶっちゃけお寺の財産を略奪しようとした、というのが本音のようですが。。。
ともあれ、これによってお寺と神社は分離することとなり、戦後には葬式→仏教、結婚式→神道、という住みわけができていきます。
というわけで、日本の歴史を紐解くと、神社とお寺が合体していた時代の方が長い。で、いわゆる2礼2拍手1拝なんてのは、明治以降、それも戦後に確立したようなものです。まあ、神職さんならやってたでしょうが、庶民は神社でもお寺でも、合掌だったと言われてます。
(実際、戦後すぐの映画などでは、神社参拝のシーンを見るとみんな合掌してます)
つまり、お寺と神社、どちらも参拝するのは日本人の宗教観として普通のことで、どちらかしかダメ、なんて言ってる霊能者はウソつきですね(^^)それか、日本の歴史、ちゃんと勉強しなかったんでしょう(笑)
(こんなこと言ってる管理人は、センター日本史、世界史どちらも90点超えです。だいぶ忘れちゃいましたけど(笑))
なお、神社の歴史は縄文人から始まります。
縄文人や弥生人は、他よりもエネルギーが強い場所を識別し、聖なる場所として、他と区別してきました。それが、時代が下ると鎮守の森などとして、別の理由から大切にされるようになっていきます。また、魔物を封じるためや、怨霊をしずめるための神社が建設されるようになり、江戸時代には、お稲荷さん(豊かさ)のご利益を求めて、取り入るためにたくさんのお稲荷さんの眷属(キツネさん)のための神社が作られるようになりました。
しかし、眷属が祀られてる神社は放置されると、荒れやすい。
だから、稲荷くずれなんてのが発生してるわけです。
寂しい感じの、すたれた神社( とくに稲荷さん)に近づいたらダメなのは、この稲荷くずれによる事故防止のためです。本物のお稲荷さんは、来るもの拒まず、去る者追わずですよ(^^)→稲荷記事
なお、神社庁がちゃんとyoutubeで解説してくれてるので、それを見れば、神社についての正しいことが分かります。
神社やお寺の専門家について
はい、以前に神社専門家(笑)をこきおろした、お下品な記事がございますが。。。神社やお寺の専門家について、ひとこと付け加えておきます。
- 神社の専門家=神職さん(神主さん&巫女さん)
- お寺の専門家=お坊さん
巫女さんは体験もできますが、基本、この人たちは専門の大学で勉強し、さらに修行してから各神社で働きます。つまり、神職さんもお坊さんも、専門職だってこと(^^)つまり、こういう大学をちゃんと出て、歴史や各宗教のことについてきちんと理解してますので、お寺や神社で分からないことがあったら、こういう人々に尋ねるのが正解です(^^)
(霊感がない人も多いので、霊的な相談には向きませんが、人生相談をしてくれてるお寺も多いです)
まちがっても、神社やお寺の専門家(笑)を名乗る変な人には、相談したらいけませんよ(笑)
このことを覚えておくだけでも、エセ霊能者を避けられるはず(^^)
おまけ:日本の仏教の歴史
ここまでで、普段の記事(2000字)の字数をオーバーしましたが、さらにいきます(笑)疲れた人はバックでもいいですよ(笑)
日本の仏教の歴史を知ることで、仏教系や神社系のエセスピが言っているウソを見抜きましょう、というコーナー(^^)ニッコリ
まず、仏教が日本に伝わったのは、古墳時代くらい。
正式に朝廷を通して伝わったのは、538年(522年説もありますが、ここでは538年でいきます)。
ヤマト朝廷では、この先進国からの宗教を受け入れるか、そうじゃないか大論争になりますが、朝鮮系とされる蘇我氏が、お寺を作って仏教を信奉します。が、たちまち災害が続き、物部氏(もののべし)を中心としたほかの豪族たちは「それみたことか!日本の神様がお怒りだ!」と主張して、お寺を壊してしまいました。
これが原因で、蘇我氏と物部氏の争いになります。
その後、聖徳太子の時代になると、仏教をあつく信仰していた太子と、物部氏に勝った蘇我氏(馬子の時代ですよ~)が、仏教を基本として、朝廷の規則を作ります。これが「十七条の憲法」ですね(^^)
十七条の憲法には「朝は早くから仕事をし、仕事が終わったらまっすぐ家に帰りなさい」「勝手に税金を取ったらダメ」など、小学生レベルの話も掲載されてますが、仏教についての記述も結構あります。2条の「あつく三宝(仏・法・僧)を敬いなさい」は有名です。
20年位前ですが、NHKが全力を出した聖徳太子のドラマがございまして。。。今田耕司が小野妹子役で出てます。気になる人は、「ドラマ 聖徳太子」で検索してみてね(^^)
その後、仏教が日本にどんどん根付いていって、奈良時代になると、社会不安を抑えるために、仏教の力を使う、という「鎮護国家思想(ちんごこっかしそう)」が登場します。奈良の大仏さんとか、各地の国分寺とかが作られた時代ですね。
奈良時代は疫病が流行ったり、貴族の権力争いがひどい時代だったりしましたので、こうした思想が大流行りしたようです。
ただし、奈良時代後期、孝謙天皇(こうけんてんのう。のちの称徳天皇(しょうとくてんのう)でもある)の時代になると、道鏡というお坊さんが信任を得た結果、天皇の位を狙う、という事件が起きます。
それまでも、お坊さんはとっても手厚く保護されてましたので、奈良には大きな勢力になったお寺がいーーーっぱいあったのですが、これが政治介入すると面倒だ。
というわけで、京都に遷都が行われます。
新しい平安京では、お寺は都の中に作ってはいけませんでした。
だから、京都のお寺は古いものほど、山の中にあるわけです(^^)平安貴族たちは、ちょっとした旅行気分で参拝に出かけていたようで、ナントカ日記にはよく、その場面が出てきますよ。
なお、平安時代と言えば密教ですが、最澄(天台宗)、空海(真言宗)が、それぞれ中国から密教を学んで帰ってきたのが9世紀。
その後は、藤原氏が勢力を伸ばすにしたがって、個人のご利益を追求するために、密教による祈祷がよく行われました。これも、ナントカ日記によく出てくる場面です。本来、密教は印(体)、真言(口)、情熱(心または意)を合わせることで、即、悟りの世界に入ろうとするものなのですが、今ではすっかり、ご利益を得る手段になってますね(^^;)
まあ、1000年もそうだったら、仕方ないか(^^;)→真言・祝詞の唱え方
ですが、ご利益のために使うのは、本来は違います。本来は、仏の世界に入るための方法だと考えていただくと、いわゆる密教系のアヤシイお寺や、霊能者が変だと分かっていただけるかと(笑)
(ついでに言うと、最強かつ一番安全な「印」は「合掌」です(笑))
神仏習合も、このころから始まります。
平安時代の後半になると、また災害が多くなってきまして、「末法思想(まっぽうしそう)」が大流行します。え?これなにって?うん、「ノストラダムスの大予言」と同じやつだよ(^^)←ネタが古い!!
簡単に言うと、お釈迦様が亡くなってから1000年間は正しい修行や教え、悟りが存在し(正法)、次の1000年間では悟りが消え(像法)、さらに次の1000年たつと、正しい修行や教えも失われて、世界の終わりが来る(末法)、という考え方です。災害が頻発したので、末法が来ると信じられたようですね。
このため、あの世で極楽浄土に生まれ変わって幸せになりたい、と考えられるようになり、阿弥陀信仰がさかんになります。いわゆる浄土教です。阿弥陀如来をすがって、浄土に連れてってもらおう、という考え方。
この考えにしたがって作られたのが、平等院鳳凰堂です(^^)
貴族の間でも、亡くなるときに阿弥陀如来の仏像と自分をつなぐ紐を用意し、それにすがって浄土に連れてってもらおう、という迷信がさかんになります。
その信仰が、鎌倉時代の仏教につながります。
鎌倉新仏教と、日本史でやるやつで、今の日本のほとんどの家は、この時代に生まれた宗派に属しています。
いわく、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗。6つ(^^)
浄土宗と浄土真宗が、平安時代からの流れをくんでるヤツで、念仏を唱えることで、浄土に生まれ変わろうとするもの。臨済宗と曹洞宗は、このころ中国から入ってきた、禅宗でございます。座禅するヤツですね(^^)
日蓮宗は、法華経を信仰してお題目(南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう))を唱えます。ほかの宗派がまやかしだ、嘘だと考えるのが特徴ですね。
最期の時宗は、踊りながら念仏を唱えます。
これらの宗派は、密教みたいに厳しい修行や難しい理論が必要ないので、庶民(浄土系)や武士(禅宗)に広まりました。
室町時代になると、とくに北陸で、浄土真宗がさかんになります。
これがいわゆる「一向宗」。信長が大苦戦したやつですが、それ以外にも信者の結束が固く、しょっちゅう反乱を起こすので、支配者にとっては厄介な存在でした。石山本願寺とかもそうですが、浄土系の宗派って、死ぬことを恐れないんだよね(^^;)←戦争になると、これが一番怖い
というわけで、江戸時代に入ると、キリスト教もですが、仏教も一向宗などが禁止になります。一方、中国から黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派が新しく入ってきますが、基本、それ以上仏教は発展しなかったようですね(^^;)平和な時代だからかしら(笑)
キリスト教を禁止し、キリスト教徒でないことを証明するために、庶民はお寺に登録することが義務づけられ、結婚式も葬式も、お坊さんを呼んでやるようになりました。これを、寺請制度(てらうけせいど)といい、今の戸籍のようなものです。このお寺に登録されてる人々を「檀家さん」といい、今でも見かけますよね(^^)
つまり、室町時代までは道場だったお寺が、江戸時代になると、役所のような存在になるわけです。過去帳といって、明治より古い戸籍が見つかるのは、だいたいお寺ですね。→過去帳といえば、このインチキ占い師(^^)
明治になると、神社とお寺が分離するのは、先述しましたが明治時代。
その後、戦後になると仏教は、葬式仏教といわれるように、お葬式ばっかりで、結婚式などは神道式やキリスト教式に変わっていきます。
長くなりましたが、こういう基礎知識があれば、変な坊主くずれやエセ霊能者を信じなくてよくなります。ついでに言えば「水子が祟る」もウソです(^^)
これらは、ちゃんと日本が歴史として教えてる仏教史で、えらい学者さんが、大人数で調べ上げたものがベースになってます。さらに、日本は教科書に検定制度がありますので、歴史的に事実がとれてない記述は、教科書に掲載できません(^^)
ということは、「学校が教えない日本の歴史」≒個人の過激な解釈だと考えていただいてよい(ヘイトも結構あります)。ついでに、エセ霊能者の意見も、教科書の記述と違ったら、無視してOK(^^)
というわけで、日本の神社やお寺の歴史でした。ここまで読んでいただいた方、お疲れさまでした(^^)そして、ありがとうございます。
副業インチキにツッコミ
副業おっさんの手口
神社専門家をこきおろす
参拝作法が気になるのは。。。
無知な人がスピに関わる罪
無知なスピ記事は人を殺す
霊能者が堕落するとき
霊能者がキレた!これって大丈夫?
これってどういう意味?←そのうちわかる
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