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霊格を上げる行動、下げる行動

先日、お客様からご質問がありましたので、ちょっと書きたいと思います。

スピリチュアル業界あるあるですが、ご利益を得るための方法はいっぱい紹介されとるのに、これをやったらダメ、というのはあまりないね~という話になりまして。そもそも、霊格を上げる行動って言われとるものも寺社のブログとかで普通に出とる内容が多かったりして、パクリか?なんて勘ぐってしまいます(笑)

ではなく。

スピリチュアルは霊格の向上を目的としますので(こちら)、それについて書かないのもおかしいだろう、と思ったので、書かせていただきます。

そもそも霊格とは?

そもそも霊格についてですが、わかりやすく言うと霊的世界の人格みたいなものです。人格者と言われた時に想像する人々≒霊格が高いとお考え下さい。現実世界では人格者って言われてても、陰でアレな人も結構おるけどな(^^;)

霊的世界では、霊格が高い、低いによって行ける世界が違うなんて言われたりもします。

そして、現世の目的の一番は、霊的世界ではなかなか上げられない霊格を、実体を持つ=瞬時に結果が出ない&悪い相手に騙される苦しさを経験することで上げていこう、ということになります(^^)

では、この霊格はどういう風に評価されるか。

善行と悪行の比率で決まります。

成績表を考えていただくと分かりやすいのですが、国語は5だけど数学は1の人と、国語も数学も3の人だったら、後者の方が志望校に近くなるわけです(^^;)で、数学が1の人は、頑張って数学を勉強して、なんとか2や3にしないと、高校入試に失敗すると。
でも、人間はナマケモノですからやりたくない(笑)
で、入試に落ちて後悔したり、成績が悪くて先生にド叱られたり、苦しい思いをすることになると(^^;)←全員じゃないですが。。。

その時に改心して頑張れば、次の大学入試ではそれなりになるかもしれませんが、そこで怠けると。。。ね(^^;)

霊格もこれに似ています。

善行、悪行の両方に評価軸があって、総合点でその人の霊格が決まります。また、善行や悪行はストックされて、何かの時に芽吹きます。これがカルマですね。わかりやすい例でいくと、人を散々いじめてた子どもが大人になって、人生の一番大事な時に罰があたる、みたいなヤツです。

運や加護の要素も絡むため、単純に「悪行が多いから罰せられる」わけではありませんが。。。

悪行ポイントを減らし、過去の悪行の償いをしながら善行ポイントを上げる。これが霊格の向上です(^^)

善行、悪行の考え方

それでは、善行と悪行はどのように考えれば良いのでしょうか?

簡単に言うと「ほかの生き物を利して、害を与えない行為」が善行で、逆の「ほかの生き物を利さず、害を与える行為」が悪行です。ただし、「一部の人や生き物は利しても、別のものに被害が出る」行為は善行とは考えません。あくまでも、誰にも(どの命にも)害を与えないのが善行です。

これは難しいですねぇ~(^^;)←分かってて言っとるやろwww

誰にも、もっと言うならアリや雑草にすら、害を与えてはいけないのです。ゴキブリや蚊も殺せません。ハチの巣なんか取ったら、そりゃーとんでもない悪行でして(^^;)

ムリ(笑)

というわけで、しょうがない範囲というのは存在します。
ただし、しょうがない範囲でも悪行は悪行なので、ちゃんと自分の中にストックされると。で、善行を積まないと、この悪行は消えていかず、やがて悪いカルマとなってあなたの命をね(^^)←怖っ!

では、善行はどうしたら良いのでしょうか。

簡単に言うならば、他の命を生かす、他の命が被る被害を減らすことができたら善行になります。

先述のハチの巣ですが、もしハチが隣のおじいちゃんを刺しちゃったら大変です。昔はハチも今以上にいたでしょうから、おじいちゃんが昔に刺されたことがあれば、最悪死に至るかもしれません。ですが、被害が出る前にハチの巣を取ってしまえば、それは抑えられます。この場合、ハチを殺した悪行と、おじいちゃんや他の人、食べられるはずだった昆虫の命を救った善行が案分されて、最終的な善行悪行が決まります。

このとき、善行の方が勝っていれば善行になると。
(悪行ポイントも入るけどね(^^;))

つまり、現実的な対応であればある限り、善行と悪行は案分されるしかないのです。

神仏のお手伝いをしていても、場合によっては悪行を起こしてしまう場合もあります。(ボランティアもそういう面がありますね。。。ある人にとっては良くても、他の人の迷惑になる場合が、ゴミ拾いですら起きる)

しかし、この世界にはほぼ悪行のない善行と、ほぼ善行にならない悪行が存在します。
それは、祈りと呪い。祈りについては、自分の身近な人間の存在を祈るだけではダメ、なんなら人間全体の幸せだけ祈ったのでは不十分で、すべての命に関して、祈る必要があります。呪いは、憎い相手を呪って命を奪った場合、思いっきり悪行になります(^^)自分の体を痛めつけたり、自殺したりするのもかなり悪い部類に入りますが、呪いは何もいいとこがない(笑)

で、この祈りについてですが、すべての命のために祈る、というのが一番難しい。

ゴキブリや蚊やハチの幸せを願えますか(^^;)?って話ですね。

ただ、最初は言葉だけでも良いのです。合掌して、すべての命が平安で幸せであること、すべての命の罪が許されること、すべての命が霊的に成長できることなど、神仏に願い、神仏の慈悲があまねく世界にいきわたるよう、願うことは、他の生き物を利することになります。しかも、祈るので害は出にくい。だから、宗教などでは「祈りなさい」なんて言ったりするわけですね。

本当なら、完全な利他の気持ちでやるのが望ましいのですが、最初は自分が悪行から逃れるために、祈るのでも構わない。続ければホンモノになります。←ホンモノになると、そこに至らせてくれた神仏への感謝が湧き、ご利益信仰から解放されます(笑)

あ、だからといって奉仕活動が無駄ってわけじゃないからね(^^;)

むしろ、人間同士なら相手を利することになるので、積極的に頑張ったほうがいいです。草刈りとかゴミ拾いとかは生き物のすみか(エサ)を奪う事にはなりますが、衛生と景観がよくなることは、他の人を利することになります。炊き出しなら温かいご飯と心遣いを誰かにプレゼントすることになります。各宗教で奉仕活動が言われるのは、この辺もあります。

余談:復讐について

あ、余談ですが、最近の研究で分かったことを。。。

余計な事をされて被害を受けたとき、現実的に加害者をシメると、加害者が受ける神罰が減ります。加害者とはいえ、人に害を返したことでこちらの悪行が増えることもありますし、加害者が現実で報いを受けたことで、悪行が減らされるからです。つまり、加害者を現実的な手段で罰することで、かえって加害者を助けることになると。

まあ、私は許せないので普通にしばきますが(笑)

ですので、私が害を返す術をやっても、相手は体調不良くらいで済みます。慈悲ですね(^^)

復讐をしてはならないと言われるのは、復讐することで相手を害す→自分に悪行がたまるからですが、復讐しないことで、相手に本来の悪行ダメージを負わせることができると。ただ、自分を守らない=自分を傷つけたままにする悪行もたまるので、どうなんでしょう(^^;)←聞くなwwwww
見とる限りだと、神仏の加護が大きい方ほど復讐しないことで、相手が沈みます。

なお、復讐についてですが、やられた分だけは返しても大丈夫みたいです。

悪行はたまりますが、理不尽に傷つけられた事に関して、怒るのは「しょうがない範囲」みたいですね。

ただ、人間はそれ以上をやってしまうので、頭に血が上らない人限定で、復讐は「やられた分までやってよし」と思われます。ただ、これは交通事故の責任配分と一緒で、自分が思う「やられた分」と神仏がジャッジする「やられた分」は違います。自分は10:0だと思ってても、8:2くらいになってしまうこともあります。そう考えると、感情的な人は復讐しない方がよさそうですね(^^;)

(こんなことを言ってる管理人は、子どもの頃から殴り合い、取っ組み合いのケンカ上等!で育ちましたので、ケンカ慣れしております(笑)ので、やられた以上をやらない自信がある→現実的にシメる方を選んでおります。良い子はマネしないでね(^^;))

というわけで、善行と悪行についてでした。

ぜひ、皆様もすべての命の平安と幸せを願い、奉仕活動もやってみてね(^^)

推奨→「すべての命の平和を祈る」(こちら)

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