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  1. 管理人ふみと霊関係

神社仏閣に行くなら歴史を調べよう

前々から「大きなお寺に行ってるのに、全然運気が良くならないんです」というお話を聞くことがありまして。。。とくに、兵庫の須磨寺に行かれる方の運気がとても悪い。不思議だったのですが、由来を調べてみると、一の谷合戦(源氏と平氏の合戦)の行われた場所にお寺が建っているようですね。

そりゃ運気悪くなるやろ(^^;)

というわけで、歴史的にヤバい場所にあるとか、供養や魔物を静めるために建てたとかの神社・仏閣がありますので、行く前に歴史調べてから行こうね、というお話です。

鎌倉は風情ある町?オバケスポット?

先日、お客様が鎌倉に行かれたようなのですが、そのあとから調子が悪いので見てほしい、と依頼を受けました。どうも気分が落ち込んで優れないようで。。。お話ししていても、普段とても明るい方なのに、なんだか歯切れが悪い。

が、その方の斜め後ろに。いた(^^;)

非常に立派な格好の鎧武者が!

緋縅(ひおどし。鎧を綴っている糸が緋色の高級鎧)と呼ばれる鎧に、見事な鍬形がついた兜。太刀も立派なもので、これは身分高そうな(^^;)ただし、こちらをジトーーーーッと嫌な目で見ています。ああ、こいつそこまで強くないけど、ヤバい奴だ。

「あの、鎧武者憑いてるんですが。。。どこ回ったんですか?」
「銭洗い弁財天、佐助稲荷、長谷寺、建長寺、鶴岡八幡宮、葛原岡神社、高徳院の鎌倉大仏、大仏ハイキングコース、由比ヶ浜ですかね。週に2回行ったんですけど、1回目は鶴岡八幡宮行ったけど、2回目は由比ガ浜のあと、建長寺行ったんですよ」

(^^;)

解説しますと、葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)に祀られている日野俊基(ひのとしもと)は、1324年の正中の変を計画したと疑われ、さらに1331年の元弘の乱に加担したという理由で、鎌倉の化粧坂で処刑されております。で、明治になって後醍醐天皇の見方をして幕府を倒した、という評価から神社に祀られるようになったわけで。。。
つまり、恨みを残して亡くなっております。

また、由比ガ浜は鎌倉時代、裁判の結果死刑になった人が処刑された場所で、義経の愛人だった静御前が生んだ男の子も、ここで殺されております。さらに、和田合戦と言って、幕府の機関である侍所の初代長官だった和田義盛も、ここで亡くなったとか。
なお、和田合戦は北条氏が実権を握るため、和田義盛を追い込んだ戦で。。。つまり、この人も恨みを残して亡くなったと(^^;)

海水浴で人気の場所なのにね~(^^;)

さらに、建長寺は足利尊氏が、吉野に逃げて南朝を起こした後醍醐天皇を弔うために建てたお寺です。足利尊氏は後醍醐天皇と仲がよかったのですが、政治上北朝を起こし、後醍醐天皇を追い出す形になったので、亡くなった後にその菩提を弔ったのだとか。ここも、恨みを残した人が祀られてますね(^^;)

なお、鎌倉時代に起きた戦乱をまとめてみると、こんな感じ。

1192年 頼朝が征夷大将軍就任
1200年 梶原景時の変
1201年 建仁の乱
1203年 比企能員の変、源頼家幽閉
1204年 源頼家暗殺
1205年 畠山重忠の乱、牧氏事件
1213年 和田合戦
1219年 源実朝殺害
1221年 承久の乱
1246年 宮騒動
1247年 宝治合戦
1272年 2月騒動
1274年 文永の役(元寇)
1281年 弘安の役(元寇)
1285年 霜月騒動
1293年 平禅門の乱
1305年 嘉元の乱
1324年 正中の変
1326年 嘉暦の騒動
1331年 元弘の乱
1331年 幕府滅亡

140年くらいの間に、こんなに戦乱が起きてる。しかも、元寇以外は鎌倉幕府の主導権争いです。奈良時代とかもエグイですが、こんなに戦乱が起きてたら、そりゃ~山とかに恨みを残したまま斬られて、そのままになってる武士とかいるよね(^^;)

というわけで、実は歴史を掘り起こすと怖い、という事例でした。

なお、そのお客様の場合はヤバい場所回りまくり、銭洗い弁財天の周りの森が気持ち悪いとか、この辺妖怪出そうだとか、洞窟が気持ち悪かった!などと思いながら通ったそうですが、オバケ大量に憑けて歩いていたようです。なのに、あの世に引っ張られずに済んだのは、普段から赤坂の豊川稲荷にお参りされているので、豊川さんとご縁が出来ていたことが大きいです。

豊川稲荷によくお参りにいくため、左肩に狐さん(かなりでかい。現実の狐の3倍はある)がいらっしゃるのですが、その狐さんが尻尾でオバケを追い払っていたようです。

さらに、鶴岡八幡宮で丸坊主の武者さんを連れてきていまして、どうも八幡さんの化身のようでした。丸坊主に熊ひげ、赤い鎧。。。そういや、八幡さんってお坊さんの姿で祀られてたな。。。
ああ、ヤバい状況だったので、八幡さんがついてきたのか。

件の立派な赤武者を取り除いたら見えたので、あの武者だけは、八幡さんや豊川さんでも手に負えなかったのね(^^;)という話をして、「怖え~~~(^^;)」というところで鑑定は終わりました。

大事がなくて何よりでしたが、3回目に鎌倉行ってたら危険でした。

現在の鎌倉を見てみると、オシャレスポットとして手作りを愛する人が移り住んだり、海を愛する人が移住してきたり。雑誌などでも歴史的な場所ではなく、そうしたオシャレな鎌倉を紹介する特集が増えてきました。
これは大丈夫なのか?という話なのですが、霊的にヤバい場所でも、平気で住める方は結構いらっしゃいます。こういう人々は霊と波長が合わないので、無事に生活できるわけですね。

だから、鎌倉に行ったからと言って全員が危険ではない。

また、鎌倉は人気の観光地ですから、人がたくさん来ていれば、そのエネルギーで意外とオバケは負けてしまいます。ですが、おりしも今年はコロナ禍。人が減ってますね。

さらに、鎌倉でも祭りが中止になっていますが、そのお祭りや神事の中に、武士を慰霊するものがあったのではないか?と思っております。それがなかったので、本来の鎌倉の怨念が出てしまったのかもしれない。。。と。ただし、来年以降にコロナが収まれば、もとのように観光地として賑わいを取り戻すかもしれません。

戦乱があっても問題ない場所

おそらく、ここまで読まれた方なら「京都だって散々戦乱あったのに、なんで大丈夫なの?」という疑問が出てくると思います。実は、京都は鎌倉と違って町なかに、オバケスポットは少ない。もっと言えば奈良だって80年の間に天災置きまくり、病気は流行し、戦乱も起きてるのに鎌倉ほどヤバくない。

この違いは何なのか?

思うに、京都や奈良は土地が良いからでしょう。もちろん、あまりに古いので怨霊も風化してしまった、という事ができますが、さすがに最初の政権ができた土地だけあって、このあたりはエネルギーがとても強いのです。また、京都は風水的にも優れた立地をしているそうです。さらに、京都では水源の貴船、上賀茂・下賀茂神社を祀ってましたし、菅原道真など、怨霊となった者は神として祀る習慣がありました。

でも、鎌倉武士の時代には相手の菩提を弔う習慣はあったかもしれませんが、たぶん神として祀る、という発想はなかったはず。

さらに、鎌倉には土地の神様を祀る神社がありません。この辺りの差も大きいのでしょう。奈良には大神神社など、土地の神様を祀る場所がありますしね。東京も、意外と土地神を祀る神社が少なく、鬼門除けやよそから呼んできた神様が多いのが特徴です。

ということは、この土地神様のエネルギーを活性化するかどうかが、土地の命運を分けたのかもしれないね(^^;)知らんけど(笑)

なお、人間の怨念は舐めたらいけません。
東京にある代々木(代々木ゼミナールの本拠地)は、個人的に近寄りたくない場所なのですが、あそこは浪人生の負のオーラや、恨みなどが凝縮しているように思います。名古屋の駅ウラや千種(ちくさ)にも河合塾がありますが、あそこまでヤバいオーラは感じません(名古屋は熱田神宮で、土地の神様を祀っている事が大きいのでしょう)。つまり、人間の怨念が凝縮されていて、それと同じ波長の人が取り込まれる可能性があるよ、という事ですね。

まあ、代々木だろうが鎌倉だろうが、波長が合ってなければ普通に住めますし、いい所でもありますから、合う人は全然出かけていただいて問題ないのですがね(^^;)

ですが、その負のオーラに取り憑かれる危険もあるので、霊的に憑依されやすかったり、敏感だったりする人は行かない方がいいよ、という事です。

もちろん、人間の祈りが繰り返された場所は逆に、とてもよいエネルギーを持っていますから、霊的に優れた土地でなくても、素晴らしいお寺もございます。ですが、それらを知るにはまず歴史を知らなくてはね(^^)

とりあえず、源平合戦や戦国時代の古戦場、ゆかりの場所でないかどうかはきちんと調べてください。それだけでも、被害は減らせるはずです。あとは、その土地が土地神様を祀っているかどうかでも、変わるようですから参考にどうぞ。

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